ベリス・メルセス宣教修道女会

神のあわれみと慈しみのしるしとして世に派遣される

メルセス会とは

ベリス・メルセス宣教修道女会

私たちの修道会には誕生の年が三つあります。

1218年:男子メルセス会公認
1540年:女子メルセス観想修道院
1930年5月:宣教修道女会

男子メルセス会

 アフリカでとらわれていたキリスト教徒を解放するために、あわれみ(メルセス)の聖母の招きに応えてペトロ・ノラスコという信徒によって創立され、1218年、教会に公認されました。

創立者ペトロ・ノラスコ

 当時のイベリア半島ではイスラム勢とキリスト勢の領土争いがあり、イスラム勢の捕虜とされたキリスト教徒がいたため、メルセス会は捕虜となった同胞の解放を目指し、創立されました。
 捕虜の解放は通常、身代金の支払いか、戦争で取り戻すかによるのですが、メルセス会の創立精神は、ヨハネ15章13節「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」というキリストの言葉に基づき、修道士たちは身代金を集める努力をし、足りない時は、一人の修道士が、身代わりとなって一人の捕虜を解放するというやり方をとりました。
 実際に何千という修道士が自分の命を差し出した記録が残っています。
 多数の男性が会に加わり、傷ついた捕虜の介護や身代金集めに奔走します。
 イベリア半島でのイスラムとキリスト教勢力の戦いは、15世紀末に終わります。同時期に、世界史は大航海時代に入り、男子メルセス会員は以後《新大陸》に向かいます。協力者の女性たちは観想生活を続けました。

ベリスの女子メルセス観想修道院

 1540年、スペイン北部のベリス村で三人の若い女性たちが村の司祭に指導され、女子メルセス会に属する観想修道院を始めました。この小さい修道院は三百年余り解放の霊性を生き続け、19世紀末を迎えました。その頃、教会は、観想修道会も、祈り以外に、教育などの使徒的活動をすることを勧めていたため、ベリスの修道院も女子の寄宿学校を始めました。
 20世紀初頭その寄宿舎にピラールという16歳の少女が入学し、後にベリスの修道院に入会しました。修道名をマルガリタといい、その人こそが、ベリス・メルセス宣教修道女会の創立者となるマルガリタ・マリア・マトゥラナです。若いマルガリタは教師となり、校長も務めました。この学校は、一人ひとりの生徒に注がれる温かい配慮と先進的な教育課程で評判となりました。

宣教会へ

 1914年、学校にインドと中国で働いている二人の宣教師が訪れ、キリストの愛をまだ知らない人々に伝える《宣教》について話し、祈りを頼みました。それをきっかけに《宣教》は、学校全体の大きな関心事となり、修道院にも広がっていきました。マルガリタを始め、修道女たちも《宣教》への召命を強く意識し始め、1926年以降、実際に中国・ミクロネシアで修道院を開設するまでになるにつれ、観想会から宣教会への変革が不可避であることが明確になりました。それはメルセス会の大きな幹から独立し、新しい会を創設することを意味したのです。修道女たちは13世紀以来のメルセス会の精神的特徴を現代に置き換え、16世紀以来営んできた深い祈りを根幹に据えた宣教会への変革を追求しました。
 こうして、観想生活から宣教使命への招きを受けとめた一人の修道女マルガリタ・マリア・マトゥラナを通して、1930年、ベリス・メルセス宣教修道女会が誕生しました。

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